生きるとはどういうことか
なんでしょうか?
どうせ生きていくのであれば楽しく生きたい、と昔から考えていました。
そして自分にとっての「楽しい」とは「しんどいながらも踏ん張って目標に到達すること」でした。
「しんどいこと」は自分の限界値を知る作業でもあると思っていました。
『ライ麦畑でつかまえて』がとても好きなのですが、この作品の中に、「学ぶということは自分の脳のサイズを知ることだ」というニュアンスのセリフがあり、この言葉を知ってから自分の中での「学び」であったり「修練」の定義が決まったように思います。
これは人付き合いにも言えることで、今となっては甘いのですが、「たとえ人間関係で苦しい場面があっても人は真剣に向き合えば損得抜きに動いてくれるはず」というのが自分の根本にありました。そうあって欲しい、という勝手な理想の押し付けであることは薄々気づいていながらも、なかなか諦めきれずにいたわけです。
そしてこの数年で、若輩者ではありますが、自分の体力の限界値、自分の身のこなし方での社会との折り合いの限界値を知ることができたように思います。
通常であれば、壊れてしまう前に意識的にしろ無意識的にしろ人は学んでいくものなのでしょうが、自分の場合はその点があまりにも下手くそだったのだなと思います。
学習したにしろなかなか性格は変えられないのですが、少し極端な部分を減らして折り合いをつけることにしました。
その結論は、
「目標を最低に保つ」
「ほとんどの人に期待しない」
というものです。
字面だけを見るととても悲しいのですが、おそらく自分はこういう向き合い方でしか心を保てないと思います。
自分が思っていた以上に人は醜い生き物です。
もちろん素晴らしい部分もたくさんあることも知っています。
ただ、自らにも社会にも期待するには理想が高すぎたのです。
自分にとっての生きるとは理想を掲げ過ぎないことです。
期待すること
今更ながらあけましておめでとうございます
断薬。再通院。休職。活動レベル上げ。
以前、薬が切れたことから流れこむように断薬に入った日記を書きましたが、その後、再度通院を行うようになりました。
ありがたいコメントをいただいたこともあり、現在はなんとか禁断症状を抑えつつ、生活を送っています。
しかし、今回の断薬が引き金となり、会社をしばらくお休みさせて頂いています。
現在は規則正しい生活を行いながら、職場復帰に向け、徐々に活動レベルを上げているところです。
今回で学んだことは、
・勝手な断薬は最もやってはいけないこと
・自らの判断のみで治療できるほど簡単ではないこと
・一度距離を置いてみると色々なことが冷静に分かること
です。
現在は以前にも書いた「アドラー心理学」の本に加えて、「7つの習慣」を本日から読み始めました。
こういったいわゆる「自己啓発」に分類される書物は得意ではなかったのですが、今回のことを機に読んでいくにつれ、良書はジャンル関係なく良書だなと思いました。
同時に、書いてあることはとても平易で当たり前のことではあるのですが、いかにそれを改めて知り、実行していくことがいかに人間にとって難しいことであるかが日々身にしみます。
弱さを認めつつ、卑下するでもなく冷静に見つつ、まずは冷静に自己をみつめ、同時に客観視し、改めて自分の目で見て、自分の頭で考え、自分で行動していきたいと思います。
メモのように気づいたことなど書きなぐっていくかもしれませんがよろしくお願いします。